近年、裁判員裁判のスタートによる裁判への関心の高まりもあって、裁判傍聴がちょっとした流行らしいですね。


裁判をネタもとにした芸人さんもいらっしゃるとか。

また、書籍を出版されている方もいらっしゃいます。



私は結構人の目を気にするたちで、一般の方がどのように裁判を、裁判所を見ているのかが気になり、書店でその手の本を見かけては、手にとって目を通すようにしています。

なかなか組織の中にいると、組織の形なりを客観視できないものです。



だいぶ前の出版になりますが、「裁判官の爆笑お言葉集」という本を手にとってみました。



「おっ」と思わせるタイトルなので、読まれた方も多いのではないでしょうか。

裁判官の爆笑お言葉集 (幻冬舎新書)/長嶺 超輝

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著者が法廷傍聴のした際、法廷内での裁判官の発言で特に印象に残ったものを綴ったもので、なかなかするどい分析や著者のユーモアまじりのツッコミもあって、読まれると裁判所、裁判官が身近に感じられるのではないかと思います。



この本のコラムの中で、裁判官が法廷で自分の考えを述べるときに、「私」でも「本官」でもなく、なぜか建物の名前である「裁判所」を使うのに違和感を覚えるというものがありました。



たしかに

書記官として法廷で立ち会っていると、裁判官は



「裁判所としてはそう考えます」

「裁判所は差し支えます」



などなど、主語を「裁判所」として使いますね。



著者いわく、

これは司法を担う者として客観的に「法の声」を代弁するために自己演出しているのではないか。




このように裁判官が自らを「裁判所」と言うには理由があります。

単に「裁判所」と言った場合、三つの意味がそこには含まれているのです。




一つは、官署としての「裁判所」という意味。


これはイメージしやすいと思いますが、建物・施設としての「裁判所」の意味です。

「裁判所へ行ってきまーす」っていうところの意味ですね。



二つ目に、国法上の「裁判所」という意味もあります。

これは国家機関としての「裁判所」という意味があります。



三つ目に、訴訟法上の「裁判所」という意味があります。

これは、個別・具体的な訴訟事件(裁判と思っていただいて結構です)について判断する、裁判官から構成される「裁判体」のことを言い、1人であったり(単独)、3人であったり(合議)、ときには15人だったりするわけです。


先の裁判官が自分のことを「裁判所」と呼ぶのは三つ目の意味で言っている訳です。



ところで、著者の経歴を読ませていただくと、過去に弁護士を目指して司法試験勉強を経験されているとか。

「裁判所」の三つの意味というのは、法学を嗜むものとしては、イロハのイと言ってもいいような・・・。

何事も基本が大事だと思いますよ。小難しい議論を勉強する前に。

ちょっと脱線してしました。



とはいえ、やはり一般の方からすると違和感のある言い方ですね。